7月19日、震災の現場に伺いました。

旧知の知人が仙台におられて、現場を案内して下さいました。

「何か出来ること。」として、知人にご縁のある石巻市立荻浜中学校の生徒さんに、これも知人のTADAさんがデザインしてくれたTシャツを届けました。

 

校長先生が当時の様子を語って下さいました。

 

わずかですが、今後も少しずつ、継続をしていこうと思っています。

女川、石巻と、TVで配信されていた現場にも行きました。知人曰く、「かなり片付きましたね。」と、言っていましたが・・・。

全壊、半壊で、今後どうするのか?車両が流されてしまい、車がない。被災された方々は、それぞれ復興に向けて、次の一歩を踏み出す中での課題に直面されています。

石巻高校の避難所にうかがいました。整然と区画を家具で仕切り、(ようやくダンボールの境界線から、家具に変わったらしい。)わずかながらのプライベートスペースの中で生活をされている。もう、それが4ヶ月も続いているのが現実です。当たり前ですが、自身に準えて考えると、いかに大変かは想像だにつきません。

それぞれの仕切りの中で、所々に遺影とお花が掲げられている。赤ちゃんの写真もあり、ご老人の写真もあり。起こってしまった現実を目の前にすると、言葉では表現し難いものでした。

色々聞けば聞くほど、行政機能が直接被害にあった地域と、そうでなかった地域は復興への意識やスピードにも差があるらしい。「幸い」被害に遭わなかった地域の行政機能は、この期に及んでも、やれ前例がない、やれ国の許可がいる、とかで、何もかもが後手後手に回ってしまっている。

仙台では何万件も被害に遭っているのに、一日30件ほどの処理でしか義援金の配布が行われておらず、増員も行われず、それら行政機能は沿岸部ではないため、機械的にのろのろ処理が行われているらしい。

「実際の現場は、メディアで取り上げられている程、良いことばかりではありませんよ。人間同士の見たくない本性が出る現場が、毎日どこかで起こっていますよ。」

やはり現地に来ないとわからない。

尊敬してやまない宇城憲治先生は先日こう仰いました。

「20~30年後、日本で大きな事を成し遂げるのは、今回被災に遭った東北の、今の子供たちだろう。」

復興に向かって、一人一人が、必死に、前向きに進もうと思われている、何かを継続して支援していきたい。「距離」が、気持ちを遠ざけるのは間違いない。であるからして、忘れないように、コツコツと。