2012-11-23
プロ野球選手に憧れて、中学校で強豪硬式チームに夢見て入部した少年は、そこからが挫折の連続だった。
レギュラーチームが使うメイングラウンドの片隅の外野で、球拾いと補欠だけ集まったノック。
平日のナイター練習では明かりが照るグランドではなく、何とかボールが見える位の奥で練習。
レギュラーチームと、下級生で有望とされた選手とは全く違うメニューを一日中こなす。
でも、そいつらは確かにうまい。悔しいながらも認めざるを得ないのが現状だった。
ピッチャー志望たっだが、出番は5,6番目。公式戦で投げることなんてあり得なかった。練習試合の2,3試合目でようやく出番が周ってきたけど、良い結果は残せなかった。自分が不甲斐なく、悔しい気持ちの連続だった。
公式戦に出ることなんて、チャンスがほぼなかった。練習試合の2試合目か、3試合目で使われるレベル。期待など全くされなかった。
「絶対プロ野球選手になってやる!」当時の僕がそんなことを言おうものなら、みんなに、「こいつはバカか?」と言われていただろう。でも、絶対なってやろう、なるしかない!そう思っていた。
中学3年の時、「この学校に進学しろ。俺が話をつけてやったから。」絶対的な監督から言われた。
自分なりに考え、志した違う学校に行きたいと、片親の母親とお願いに行ったら激怒された。「お前なんか知らない。勝手にしろ!」親子で土下座をして謝罪した。
誰にも期待されたわけでなく、自分で探した高校に入学した。
とにかく負けん気だけで練習した。すると、投げる度にスピードが増していった。背丈が大きくなっていった。結果が徐々に出だした。
高校では選抜当確の結果を出したが、部員の不祥事が起こり、甲子園出場はならず。
でも、周囲の評価はガラッと変わった。
高校3年生でプロから指名されたが、意中の球団ではなかったので入団を拒否し、社会人野球の道を進んだ。そこでは思うような結果は残せなかったが、働くことの大切さ、お金を稼ぐことの難しさを学んだ。
そして、念願の球団から指名を受けた。夢であったプロ野球選手になれた。
その選手の名は、内海哲也。今や巨人のエースとして大活躍。今シーズンは2年連続最多勝、日本シリーズではMVPに選ばれた。
昨日、ONYONE東京支店に来てくれて、来年のカタログのためのインタビューをしていると、彼の中学時代を知る私とそんな話になったのが今語ったストーリーです。
「これだけ活躍しているのに、どうして天狗にならないの?」
「あの時(中学時代)の、気持ちをいつまでも忘れないようにしています。ジャイアンツは毎年良い選手が入ってくる。あんな気持ちを持った選手が出てきたら、僕なんか直ぐに抜かれちゃいますから。」
「苦労や挫折を乗り越えて。」ONYONEはそんな選手が多いんですよね。
何かとっても大きな存在になったな~って実感しました。